【トーシロ民族文化論】ことわざや教訓は、その民族に足りない事を指してる説

ことわざ、教訓、慣用句…昔から言われている、いろんな教え。

宗教的なものや、地域的なもの。様々なものがあるとは思いますが。

基本的に、そういう教えの類って、

その民族に足りていないことや、弱点を補うために、脈々と受け継がれているんじゃないかなぁ…

という、私の仮説であり暴論。それを今回、書いてみます。

※先に書いておきますが、私はどんな文化や考えも、否定や批判をするつもりは全くありません。むしろ、色々な違いは素敵で興味深く、心から尊敬しています。

今回は、「逆説的に考えると、そうなるんじゃない?」という暴論を繰り広げていきます。

ことわざや教訓って、そもそも何だ。

ではまず。どんな論議をするにしても、言葉の定義から始めましょうよ。

言葉の定義をしないと論点がずれるし、言葉って同じ単語でも、結構個人の感情や感覚が染みついているものなので…日本語の定義は、広辞苑を基準としましょう。

広辞苑で調べてみると、

  • ことわざ:古くから人々に言いならわされたことば。教訓・諷刺などの意を寓した短句や秀句。
  • 教訓:教えさとすこと。また、その言葉。

この定義からすると、「ことわざは、教訓からできている」と言えそう。

なら、教えさとす、というのが今回の論議の根本になる。だって、脈々と伝えられてきた「教え諭されてきた言葉」は、その民族に足りない部分を指していたり、弱点を補うものだと、私は考えているから。

教えさとす、は「教える」「諭す」の複合語なので、

  • 教える:①注意を与えて導く。さとす。戒める。②知っていることを告げ示す。③学問や技芸などを身につけるように導く。
  • 諭す:①神仏が啓示・警告して気づかせる。②言いきかせて納得させる。

教えると諭すって、結構似ている所があるんだなぁ。言葉って面白い。

並べて見ると、教えるの方が、ちょっと優しいイメージ。注意もするけど、どちらかと言うと知っていることを伝える、という感じ。

諭すになると、神仏の警告とか宗教感強くなってくるし、言い聞かせて「納得」までさせるそう。

ここまでで言えることは、

  • ことわざは教訓からできていて、教え諭すことを指す。
  • 教え諭すとは、勿論知っていることを伝える意味もあるけど、注意を与えて導いたり、戒める(それは神仏の啓示・警告でもあったり)か、言い聞かせて納得させるということ。

つまり、私の暴論、その民族に足りない部分を指していたり、弱点を補うものという論も、あながち間違いではなさそうじゃない?

洋の東西、教訓から考えられるもの。

ではここからは、洋の東西での教訓や教えを考えていきましょうよ。ザックリ、日本とヨーロッパで。

なるべく古くて、流布してるものを「教訓」とします。宗教的な部分が強くても、宗教は倫理観とも言い換えられるので、それもよし。

日本の教え:和を以て貴しとなす

聖徳太子の制定した、十七条の憲法の第一条。和を以て貴しとなす。

「みんな仲良く、和を大切にして喧嘩をしないように」という意味でよく知られているけど、

聖徳太子的には、「いろいろ立場とかもあるけど、喧嘩腰でなく、和やかな雰囲気できちんと議論をしましょう」という意味も含めたものでもあり。

そう。みんな仲良く和を大切に。でもキチンと議論はしましょう。

…これ、日本人、めちゃくちゃ下手くそじゃないです?

稲作時代は、あっちの田んぼの方がよく米が取れるから、奪ってやろう!と争いを起こし。我田引水という四字熟語があるように、水路をいじって、自分の田んぼだけに水が入るようにしたり、なんだり。

ムラ社会から豪族が現れ。豪族同士も土地の取り合い、権威の取り合い。藤原氏が「俺の人生、マジ満月状態だぜハハハ!」なんて一句を読むも、今までボディガード扱いだった武士が力を持ち始め。

その後は、武将達がヤアヤア我こそは!と、腕っぷしと携えた戦略で、常に合戦を繰り広げ。国外から強敵がやってきたのは、神風(という名の、恐らく台風)で吹っ飛ばされたモンゴル帝国くらいなもんで。江戸時代になるまでは、大体同じ民族同士の争いが絶えない、我らがジャパニーズ・ピーポー。

歴史を見ると、日本人同士ってあんまり仲良くしていない…苦笑

色々なバリエーションはあるけど、大体同じような文化背景を持っているはずなんだけどな、日本って。

で、あんまり議論ってしてないんですよね。歴史の流れだけで考えると。議論してても、自分に都合悪かったら、結構すぐに武力行使…。第一次・二次大戦中に軍部が力を持ったのも、やっぱりさ、結局最後は腕っぷし。

仲良く、しましょう。なるべく。立場の違いはあれど、同じ民族同士。仲良くしてさ、しっかり話しましょうよ。すぐ手を出さずに。

ヨーロッパの教訓:隣人を自分のように愛しなさい

ヨーロッパの教訓は、キリスト教に立脚することが多いので…この言葉をチョイスしました。

キリスト教的に一番に愛すのは主(神)ですが、神を愛すのと同じくらい、隣人も愛しなさいと説かれています。しかも何度も。

隣人愛(アガペー)とも呼ばれる、「無償の愛に近い、人間が人間を思いやる気持ちのことが愛である」としています。

隣人を自分のように愛しなさい。

これ、ヨーロッパさん、苦手ですよね…?あなたがた、すぐ「よろしいならば戦争だ」ですよね、歴史見てるとさ…苦笑

まず、カトリック教のフランス。イギリスは途中で、イギリス国教会に変わったけれど、キリスト教を全否定している訳でもなく。フランスとイギリス。何百年、何百回戦争したら気が済むのよ。ドーバー海峡越しの隣人同士、ですよ…?

ヨーロッパ全土で考えても、隣国同士の戦争、何回やってるんですか。

例えばアルザス・ロレーヌ地方の取り合いっぷり。良いブドウが取れるし、良い土地みたいですが。隣人愛ならさ、分け合いませんか…?

高貴な血族同士の政略結婚、もつれあう利害。足蹴にし奴隷扱いしていた小金持ちが反乱し、「自由」を得たとはいえ、その後も続く大きな戦争…。

ヨーロッパの皆さま。右の頬をぶたれたら、左の頬を差し出す前に、即カウンターパンチしてること、多くないですかね…?苦笑

隣人愛、アガペー、無償の愛とは一体…。

その、すぐ殴らず、というか常にファイティングポーズ決めていないで。ほら、隣人を自分のように愛しましょうよ。すぐ捕虜を奴隷扱いしないの。文化や民族が違うからって、すぐ劣ってるとか判断して奴隷にしないの。愛よ、愛。

教訓から考えられる、洋の東西の「弱点」

さて。教訓と歴史の流れをたどってみましたが。

いや…日本でもヨーロッパでも、戦いすぎやん…?人間はなぜ争うの…?泣

とはいえ、若干差はあって。

日本:単一民族同士での争い。血縁や土地のつながりでの争いが多い。

弱点:日本は文化背景などが似ている単一民族だが、ムラや身内以外に対して厳しい。

→和を大切にしましょう。他人さんとも仲良くしましょう。すぐ手を出さず(和を以て貴しとなす)。

ヨーロッパ:国家間(民族・文化背景がちがう)での争いが多い。

弱点:自国以外には厳しい。他民族・他文化は排斥しがち。

→見た目や文化が違っても、自分と同じように大事にしましょう。すぐ手を出さず(隣人を自分のように愛しなさい)。

教訓の例から導かれる答えが、割と似てるけど。結局のところ、「すぐ手を出すな」というのが人類共通の教訓、なんだろうなぁ…

うん。愛そうね。自分も他人も、仲良くして大事にしましょう。。

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